【関西】大峰山、大普賢岳から歩く大峰奥駈道、近畿最高峰を目指す関西の旅
2018年4月30日、近畿最高峰大峰山八経ヶ岳を目指し、大普賢岳から弥山までを歩きました。
関西遠征三日目、大台ヶ原を越えてついに近畿最高峰を目指すときが来たのです。
出来れば山上ヶ岳から熊野までを目指す大峰奥駈道に挑戦したいとは思うのですが、
なかなか日程が取れず。
大台ヶ原と大峰山を少ない日程の中で最大限楽しむために、
今回は大杉谷から歩くこととしました。
大普賢岳から歩く近畿最高峰。
大峰山までの道のりは果てしなく長く、
大峰山の価値は、大峰山以外の山から登らなくてはわからないのでは?
そう思わされた登山でした。
人里離れた山奥でただひたすらに山頂を目指す、関西遠征三日目の始まりです。
大普賢岳から歩く大峰山について
大杉谷から歩き始めて大峰山までという今回の日程、
忙しくて休みが取れても4日だよという人には是非おすすめしたい山行です。
また、女人禁制である山上ヶ岳を経由せずに大峰奥駈道に入山できます。
女性の方が熊野まで歩くのには今回の記事で歩いた和佐又山スタートで
大普賢岳から熊野を目指すというのが良いみたいです。
(実際にそれで歩いている人と一緒になった)
大普賢岳から弥山はそれなりの距離があり、
和佐又山ヒュッテを出発してから9時間位を見込んで歩くのが良いでしょう。
常に大峰山最高峰八経ヶ岳が見える大普賢からの大峰奥駈道、
盟主を常に見続けていると、そこが百名山な理由も自分の中で整理がついてくると思います。
登山対象としてはつまらないと言われる八経ヶ岳。
しかし大峰奥駈道を歩いていれば、ひときわ目立つ山として
視線の先に常に鎮座している八経ヶ岳。
長い道のりを歩いていると不思議と「納得」してしまいます。
山道自体は丹沢あたりに似た雰囲気があり、
決して絶景にあふれているというものではないのですが、
山深い道の中にぽつんと一人立っていると
いろいろ考えさせられていい場所かなと思いました。
弥山まで到着すればテント場、宿があります。
弥山からは夕日が見れますが、何よりも朝日。
テント場の正面に見える大台ヶ原の向こうから上がってくる朝日は素晴らしく、
感動を覚えることでしょう。
初日と二日目と最終日の記事はこちら
- 1.大杉谷と大峰山をつなぐ縦走計画に関して
- 2.和佐又山ヒュッテからゆく大普賢岳の旅
- 3.開け始める展望、弥山は遥かなる視線の先へ。
- 4.行者還避難小屋へ、大峯奥駈道スタート。
- 5.深き森を越えて向かうは弥山、終わらない尾根道
- 6.弥山、八経ヶ岳を目前に現れた楽園地帯。
- 7.まとめ
1.大杉谷と大峰山をつなぐ縦走計画に関して
関西遠征編、大杉谷〜大台ヶ原〜大峰山の工程です、ぜひご参考にしていただければ。
今回の大杉谷から大峰山までを歩く旅は公共交通機関を使用して歩くことを勧めます。
公共交通機関を利用すると三瀬谷から京都まで抜けれるのでおすすめです。
アクセスレシピ
【新幹線】品川→名古屋 11,090円(新幹線のぞみ:6時23分発)
【電車】名古屋→三瀬谷 4,180円(特急ワイドビュー南紀1号:8時5分発)
【バス】三瀬谷→大杉谷登山口 2,500円(要事前予約、エスパール交通)
【バス】大台ケ原→和佐又山 1,010円
【バス】天川川合→洞川温泉 370円
【バス】洞川温泉→下市口 1,280円
【電車】下市口→京都 1,170円
【新幹線】京都→品川 13,910円(新幹線のぞみ)
運賃合計 35,510円 東京方面からの場合は南紀1号に乗れるかが勝負
新幹線始発を利用し名古屋へ向かい、名古屋で南紀1号に乗れれば勝利が確定します。
三瀬谷に到着した時点ではバスの予約がされているはずなので、あとは歩くのみ!
コースレシピ
一日目
大杉谷登山口11:35→千尋滝13:20→猪ヶ淵14:30~15:20→平等嵓吊橋 15:45→桃の木荘16:20分
合計登山時間 4時間45分(標準CT5時間10分)
桃の木小屋へは16時までに到着したいところです。
二日目
桃の木荘5:40→七つ釜の滝6:10→堂倉滝7:45→粟谷小屋9:05~9:35→シャクナゲ平10:45→
日出ヶ岳11:25~11:35→大蛇嵓12:55~13:10→大台ヶ原ビジターセンター14:00着
和佐又バス停15:25→和佐又山ヒュッテ16:55
合計登山時間 9時間50分(標準CT9時間25分)
和佐又山のバス停からヒュッテまでは車道で1時間とされています。
僕は山道を歩いたためそれ以上の時間がかかりました。
三日目
和佐又山ヒュッテ5:10→和佐又のコル5:40→指弾の窟6:15→日本岳6:40→
大普賢山7:40→七曜岳9:30→行者還避難小屋11:10~11:35→弁天森13:25→弥山小屋14:55
合計登山時間 9時間45分(標準CT9時間20分)
行者還の水場は枯れていることが多いのでお水は多めに持ちましょう。
四日目
弥山小屋6:40→八経ヶ岳7:15~7:30→弥山8:00→狼平避難小屋8:50→栃尾辻10:35→天川川合12:25
合計登山時間 5時間45分(標準CT5時間35分)
この遠征でかかった費用
交通費合計 35,980円(交通費概要参考)
宿泊費合計 24,800円(桃木小屋8800/和佐又山8000/弥山小屋8000)
バッチ合計 2,200円(大杉谷/大台ケ原/大峰山2種)
食料合計 2,850円(ビールや途中で購入したパンなど)
洞川温泉 600円
合計 66,430円 すごく高いと思うかもしれない、でもそれだけの価値があると俺は思う。
この遠征で使用したレンズ
D850×2機
AF-S Nikkor 20mm f/1.8G ED
AF-S Nikkor 28mm f/1.4E ED
AF-S Nikkor 58mm f/1.4G
各交通機関、小屋など問い合わせ先
上記のバスと小屋は事前予約が必要です、1週間前には予約しましょう。
2.和佐又山ヒュッテからゆく大普賢岳の旅
2018年4月30日午前4時20分、和佐又山ヒュッテ。
おはようございます、関西遠征の旅、三日目です……。
本日はここ和佐又山ヒュッテからスタートです。
前日の桃の木小屋といい和佐又山といい今回は全日「布団で寝れる登山」となっており、
今日も布団でぐっすり眠ることができました……。
朝ごはんはこのようにセットされていて、
出発前にこれでもかというくらい白米とお味噌汁をいただけます。
イタレリーツクセリーという感じですね。
これが小屋泊まりのいいところよ、
テント泊にはテント泊の、小屋には小屋のいいところがあります。
小屋泊は旅行しているに近い気持ちになれるので好きです、
僕のような一般ハイカー的には合っている。
美味しいご飯をたっぷりと食べて、朝の準備を済ませたら出発です。
午前5時10分、和佐又山ヒュッテ出発。
空が白くなり始めた早朝、日の出までもうすぐです。
カメラの設定をだいぶ明るくしたおかげで景色が白い……。
ちょうど太陽が顔を覗かせている時間でした、おはよう~日本。
さて、和佐又山からの出発ですが一つ気をつけたいことがあります、
それはヒュッテから登山道までの道がわかりにくいことです!!
なので、できれば事前に登山口を調べておくことをおすすめします……。
僕は看板見ながらビクビクしながら歩きました、生きた心地がしなかったぜ。
大峰山の大きな案内板を越えて山の上に続く道を登っていきます。
上にもキャンプ場があるのでしばらくは電柱などとはお友達。
しかし今日の日の出はなんてきれいなんだ、空がいい感じに紫色です。
山桜が咲く道を突き進みます、朝日に染まりすっかりオレンジ色です。
どうやら八重咲きの桜のようです。
今日の山行の始まりに桜とは縁起がいい、
バァーっと登ってサクッと山荘で寝させていただきたい。
大普賢岳登山口に近づくと見晴らしのいい場所があり、
ご来光がとても気持ちよく見えました。
暗い景色の中に朝日を受けて薄っすらと浮かび上がる木々のハイライトが素敵です。
ドキドキしながら車道を歩き続けたら指導標を発見、一安心です。
君が見つからなかったら僕はどうしようかと思ったよ……。
午前5時30分、大峰山に向けて入山。
和佐又山ヒュッテから歩く大峰山の旅、プレイボールです!
ここから先は樹林帯、グッバイサンライズ。
和佐又山ヒュッテからはまずは和佐又を目指すのではなく、
日本岳(文殊岳)を目指します。
今回は工程が長いので各所最短のルートを取ることにしました、
体力的にも三日目はなかなか疲れているので、しょうがないね。
樹林帯を登るとすぐに和佐又山との分岐に到着します、
もちろん大峰山に向けて歩くので大普賢岳へ。
まだ冬枯れの木々の隙間から差し込む太陽に励まされながら、
誰一人として歩く人がいない森の中を進みます。
「大普賢岳まで意外にあるやんけ……意外にあるやんけ……」
大事なことなので二回言いました。
前半戦の樹林から、既に雰囲気は丹沢でした。
植林こそないものの、どこか知っている雰囲気の森が広がります。
穏やかな森がどこまでも続く優しい樹林です。
道も傾斜はゆるく、きつい思いをすることなく登り続けることができました。
Nかな?
一体どうやったらこんな感じに曲がるんでしょうね?
立派な木々が茂る道をゆっくりと登ります、木々に触れるとじんわりと温かい。
太陽の暖かさなのか、木の暖かさなのか。
とりあえず自然の持っている気を吸うことによって
パワーアップする仙術を身に着けないと(NARUTO脳)
太陽の色が徐々に明るくなり、赤みを持った景色は本来の輝きを取り戻し始めました。
標高も上がったのか、木々の隙間からから山々が見えるようになりました。
景色で見ると八経ヶ岳周辺は全く別の山域にしか見えません、本当にあのへんまで歩くの俺?
標高が上がり、チラホラとツツジが見えるようになってきました。
大普賢岳までは地味な道のり……、いや。
弥山まで地味な道のりが続く大峰山ですが大普賢岳周辺は岩が特徴的な様相。
午前6時15分、指弾の窟。
修行スポットらしいのですが、僧侶が大峰山を縦走する際は稜線から離れた
これらの業所で修行を行わなくてはならない模様……。
ハイカーのただ稜線をつなぐ行為より遥かに大変だということが容易く想像できますね。
斜面のかけられた階段とはしごを使い、無理やり標高を上げに来やがりました。
ひときわ巨大な岸壁の麓にポッカリと開けられた洞窟に社が建てられています。
洞窟が天然のものなのか素掘りなのかはわからないけど、
得体のしれない雰囲気が漂う場所であるのは間違いありませんでした。
こちらが社、時間帯が早朝ということもあり、結構怖かったんですよ。
社は整備されているしお供え物も新しい、人が定期的にやってきているんですね。
ここに籠もって修行するのは大変そうです……、山伏ってすげぇな。
笙(しょう)の窟と呼ばれるこの場所ですが、自然窟らしいです。
周囲を樹齢500年の木々に覆われ、ここでは冬に千日籠修行が行われていたとか。
笙(しょう)の窟の独特な雰囲気に気圧されたまま、大普賢岳へ向かいます。
ふと上を見てみるとせせり出した岸壁がこんにちわしていました、
ここだけ異様に攻撃的な景観が広がっていて怖かったですね。
ビクビクしていると後から他の登山者の方が来て、ちょっと安心しました。
巨大な完璧の縁を歩いて、一旦下って登り返すという工程で上を目指します。
日の当たらない暗い岩場を歩き続けます。
時折ツツジが現れて励ましてくれるものの、
あたりの雰囲気が暗すぎるゆえに気分も暗い。
このあたりを歩いているときは本当に寂しい気持ちで一杯になるので注意です。
大杉谷で見たような鎖をたどり稜線に向かいます。
午前6時40分、日本岳到着。
日本の名をもつ立派な場所にたどり着いたと思ったのですが、
何もない樹林の中でした……。
でも尾根道に出たため、あたりの明るさは一段と増し、
道も歩きやすくなったのは事実。
3.開け始める展望、弥山は遥かなる視線の先へ。
遠くに見える八経ヶ岳と弥山方面、まだまだ本日の目的地は遠いです。
大普賢岳から見ると全く別の山域にしか見えないんですよね。
朗らかな陽気に包まれる登山道ですがジリジリ気温が上がり、
容赦なく肉体の水分を奪っていきます。
一応フルで水を搭載していますが3リットルほどしかなく、
本日の工程だとどこかで水分補給をしなくてはいけません。
問題はこの稜線、水が補給できるポイントが限られているということ……!
額に汗を浮かべながら先に進みます、まだ大普賢岳にすら来ていないのに疲れてきた。
三日目は流石に体力がキツい。
ハシゴの後にハシゴの「おかわり」が続く、地味に体力削られるので辛い。
ハシゴをあらかた登り切るとこのような整備された道に出ます。
割と突き刺さりそうで怖い鉄棒……、手すりとして利用しつつ下りのはしごを使う。
ハシゴの先には石の鼻という展望スポットがあります、
ここで撮影がてら休憩することにしましょう。
石の鼻からは開けた展望が楽しめます。
大峰山のパノラマなんですけど、画面右上付近が八経ヶ岳や弥山、
画面中央に行くと釈迦ヶ岳になるんでしょうかね。
いつか熊野灘までの縦走はしてみたいんだけどさ……、そんなに休みとか取れるのかしら。
というか、滅茶苦茶遠くにあるようにしか見えません。
本当に今日中にあそこまで歩いてたどり着けるのかオラ不安しかねぇぞ!
これまで歩いてきた山側を振り向けば独特の魅力がある、
大普賢岳周辺って樹林の中に適度に岩が配置された厳しい感じの様相なんですね。
石の鼻から見える景色は朝霞、単色の絵の具を白いカンバスの上においたような雰囲気でした。
手前の山々の濃い黒が空気遠近法で徐々に青みがかっていく。
なんというか山水画的な景色だなと思いながら見つめていました。
熊野灘が見えるんでしょうけど、
春特有の霞で遠くの視界は全くないような状況でした、無念。
さて、石の鼻をすぎると再び登りです。
小普賢を越えて大普賢岳を目指します。
午前7時05分、小普賢。
道中にいきなり現れる小普賢の看板……。
なんとも可愛らしいサイズですがあたりに展望はなく、なぜここにチェックポイントが??
と思わざるを得ない展開でした。
ガタツキが目立つ梯子を何度も登ります。
結構な長さのあるはしごもあって、登っているときに
「これ外れたらどーなっちゃうんだろうあたし」
と、思わされることもありました、幸いにしてはしごが外れることはなかったです。
こういった道が整備される前はどういうところに道を通していたのか疑問でならない。
そんな地形が続きます、本当に足元が岩なんでどこに旧道があるのかわかりません。
笹アンド岩アンド青空の景色の中を登り続けましょう、
結構斜度も上がってきて息が切れてきました。
午前7時35分、大普賢岳分岐。
大峰山の稜線、それすなわち大峯奥駈道に合流ということです。
ついに来たぜ大峯奥駈道!!
開けた展望からあたりを見回せばひときわ目立つ山が一つ、
画面中央にあるのが山上ヶ岳と思われます。
女人禁制の山で、修行の場所として長い歴史を誇る「ザ・大峰山」といった山ですね。
別の方角を向けばどこまでも広がる山々の景色です、
東北とは違った山深さがあります。
大台ヶ原よりも大峰山のほうが山深いので、
天の川の撮影などにはこちらのほうが向いている気もするんですけどどうなんでしょうね?
午前7時40分、大普賢岳山頂到着。
本日のスタート地点である大普賢岳に到着しました。
スタートが日の出とともにでしたが、既に午前のいい時間帯です。
空も順調に雲が広がり白さが増しています、今日は午後は曇り空。
残念に思いますが、この日は曇りでなくてはこの山を登ることはできない日でした。
そう、5月とはいえもう気温はかなり高い、
そしてここは稜線の道……、つまり水がないのです。
大普賢岳までに750mlを使い果たしてしまったため、
残り2リットルで弥山まで行かなくてはなりません、これは正直辛い戦いだなと思います。
大普賢岳から見ると山上ヶ岳方面がよく見えます、
結構アップダウンがあるように見える。
山上ヶ岳を出発した場合は二日目は行者還避難小屋になるんですかね?
ズームしてみると、山の上に小屋らしきものの屋根が見えました。
調べてみれば大峰山の小屋はそれぞれ環境もよく、
大峯奥駈道を歩くという人のために整えるところは頑張っているんだなと感じます。
これから向かう弥山、八経ヶ岳方面です。
ようやく稜線の形状が明らかになりました、尾根をたどれば確かに弥山に合流できそうです。
しかし、しかしだね、遠くないか君??
ドン引きだよってくらいのアップダウンと距離がある弥山と八経ヶ岳、
歩かなければ人里に帰れません。
もはや僕に残された選択肢は2つ。
ここでヒュッテに戻るか、弥山まで行くかですが当然弥山に行きます。
4.行者還避難小屋へ、大峯奥駈道スタート。
午前7時45分、大普賢岳出発。
大普賢岳からの下り道は若干わかりにくい、
おいおい結構急に下るんだねという道をおります。
今までせっかく登ってきた標高を惜しみなく捨てます、これは捨てるプロデュース。
「これは縦走、登って降りるの繰り返し、せっかく登ったのになんて情けないことは言わない。」
容赦なく坂道を降りていきます。
大普賢岳までの上りに比べるとだいぶ楽ちんな笹の尾根道に出ました、
ここは展望がよく、和佐又山などを見るにはとてもいい場所です。
大台ヶ原、和佐又山方面に開けた崖です。
崖っぷちを歩いているので画面左側に吹っ飛ぶようなことがあれば非常に危ういです。
いや、まぁそんなことはないと思うんだけど……。
午前8時00分、水太覗。
和佐又山の先に大台ヶ原がよく見える展望スポットです。
これまで歩いてきた、小普賢などのポコンポコンとした尾根の先に和佐又山が見え、
その左上には台形の形をした大台ヶ原が見えます。
や、山深ぇ……、人の気配がしないよ……。
画面中央が和佐又山ですね、
よく見ると山頂周辺は伐採されているのかハゲてます、展望はいいのかな?
青空であればなーとこのときは思っていました、そう、このときまでは。
水も潤沢にあり、この先行者還避難小屋手前で水が補給できる、
そう信じて疑わなかったのです。
愚かなりRedsugar、誠に愚かなり……。
登山経験が4年足らずで200日も山に登っていないからこそ
稜線の恐ろしさを知らないのだお前は。
「水はまだあるし、補給できるからいっか★」
そう能天気なことを考えながら谷底の新緑を撮影、
そして気が付きます、この谷底、道路が走っている……。
和佐又山に向かうための道路なんでしょうか、人工建造物がありました、
なんだよここ都会かよ……(大雪山のようなまじで何もないのを身体が求めていたらしい)
水太覗にいつまでもいるわけには、というわけで先を急ぎましょう。
天気も完璧に曇天、あとはもう歩き続けるのみ。
同じような景色が続きます、これは修行。
笹の道を歩いていれば様々な少ピークが現れます、例えばこれ、弥勒岳。
弥勒菩薩の名前を持つ山なんてとても立派に思うわけじゃないですか、
でもこの看板があるところの周りには山頂らしい場所はないわけです。
「やぁ、遅かったじゃないか……」
看板を見て歩いていけば丘みたいなところに弥勒岳のマークが……、
「いや、これ稜線上のアップダウンの……」
などと思ってはいけません、ここは大峯奥駈道、神聖な登山道。
大普賢岳からは次なる目的地、七曜岳を目指すのですが、
僕の辿ったルートの場合この区間が最も辛い場所になると感じました。
アップダウンが過酷である上に鎖場が非常に多いんですね。
荷物が重く、体力も少ないゆえにどんどん追い抜かされていきます。
衣類をきっちり4日分持ってきているからこんなことになるんだ、
パンツなんて一つでいいだろ!(かぶれそう……)
大峯奥駈道は意外にこういった手作りの可愛い看板があります、
ポップ体みたいな書体で描かれると気が抜けるぜ。
振り返れば大普賢岳、結構下ったな俺。
「標高は投げ捨てるもの……」
北斗の次兄もそう言っていましたし、僕も容赦なく降ります、下に参りまーす。
足場の安定しない鎖場が続きます、正直の差この辺の歩き難さ、いとおかし状態です。
鎖はあるのですが鎖を掴むと体が安定しません……。
道もそんなに明確じゃないしすれ違うのは大変だし、
七曜岳はなかなかに手こずらせてくれます。
標高を投げ捨て続けます。
標高をある程度落としたら今度は緩やかな登りで長い距離を稼ぎます。
この辺からは景色が奥秩父のシラビソ林を彷彿とさせるような
苔と岩が目立つ景色が広がり始めます。
ところどころ休憩に適した広場的なものが現れますが、
休憩していたら弥山にたどり着く前に力尽きそうなので先に進むよ。
みんな結構休憩している……。
僕も休むということを覚えたほうがいいのかもしれない。
尾根道は樹林の濃度が薄く、空も明るく見える。
足元もぐったりとした草が生い茂り、
小憎たらしい笹原はあまりない、ので足が滑らなくていい。
平坦で歩きやすい道に出ると一安心、
ここで一気に距離を稼ぎたいなぁと思ってもすぐに次の登りか降りが来てしまうんだけど。
「お?なんかペンタブのペンみたいのが落ちてる……?」
「どちらかというとワンダーランドウォーズのペンデバイスかなぁ?」
などという感想が出てくる枯れ枝が。
ほら、Penみたいでしょう。
先端のネジネジはどうやって生成されたのか気になるけど、先を急ぎます。
小普賢や和佐又山の尾根道も徐々に遠ざかっていきます、
さようなら、さようなら、さようなら。
和佐又山ヒュッテにはお世話になりました、
彼の有志を見るのもこのへんで終わりにしたい、
とっとと弥山にたどり着かないと僕の命がヤバイから。
季節が違えば青々としているんだろうけど、
GWではまだ険しそうな見た目の大普賢岳。
景色ばかり撮影するのも目の前の景色がご覧のように特に特徴がないからなんですね、
特徴がないのに長いんですこの道。
写真を撮らないと参考にして歩いた人が
「こんな長いなんて聞いてない、記事ではもっとすぐついてた」なんてことになりそうです。
だから長いということをきっちり記事でも体験してもらおうと思うんだ(キリッ
木漏れ日の中歩くのは気持ちがいいはずなんですけどね、
修験道だからか気持ちがピリピリしているわけです。
大台ヶ原に比べると倒木がありません、
大峯奥駈道の大普賢岳から弥山の間で倒木という倒木は本当に少なかった。
午前9時05分、7つ池。
巨大な穴の前に7つ池と書いてありますが、ここからだと7つも見えません。
目の前にある巨大なうろみたいな穴だけです。
まるで火口みたいな穴です、ちょっと気味が悪いんですよねこの辺。
流石に体力がかなり減ってきたので一旦休憩です、
みんな手前で休憩していたけど僕もこのへんで一息入れます。
一本満足バーを一つ食べれば200キロカロリー前後を摂取できます、
僕の場合は大体30分から一時間は元気に歩くことができます。
休憩をしたら再び標高を投げ捨てます、流石に降りたくなくなってきた……。
そして捨て続けた標高をついに拾うタイミングが来てしまいました。
結構な標高を投げ捨てて降ってきたので、どれくらい登り返しがあるのか、
はしごを見ながら足がゾクゾクしてきました。
きっと乳酸が溜まっているんだと思う。
鎖も登場して中々急な角度で登らせてくれます、
腕を使わせてくれるのでまだ優しさを感じます。
七曜岳に近づくと再び崖っぷちに通された空中回廊を歩くことになります。
展望はとても良いです。
展望はとても良いのですが七曜岳山頂がすぐそこなので写真はそこで撮ろう、
ということで鎖場をガシガシ登ってしまいます。
午前9時30分、七曜岳山頂到着。
本日の中間地点手前、七曜岳にやってきました。
行者還避難小屋前では最も強敵なスポットでした、
今まで僕が捨てた標高を返してほしい。
山頂はそんなに広くはないのですが、
地面に埋まった岩の上に乗れば弥山方面の展望を得ることができます。
足場は少ないのですが、この岩の上に乗ってあたりを見回してみましょう。
こちらは山上ヶ岳方面、僕が歩いて来た和佐又山のさらに北にある方面ですね。
北側の展望はよし、そして見事に冬枯れの山。
こちらは弥山、八経ヶ岳方面、長大な山です。
山腹には日本の滝百選でも屈指の難所と言われている
秘境中の秘境「双門の滝」などがあります。
山上ヶ岳方面と弥山方面の展望を確認したので先に進むこととしましょう。
疲れてきたけどご飯は行者還避難小屋で食べると決めているので、そこまでは頑張って歩きます。
大峯奥駈道の立派な石柱、この道の歴史の長さと由緒の正しさを感じます。
アルプスでも石柱はあんまり見ないよね。
七曜岳からは再びの下り、行者還岳との鞍部に向かうため下り続けます。
階段は本当に辛いからやめてほしい、足にかかる負担が半端ない、負担半端ないって。
人工物は足を引っ掛けたりしやすいので、逆に怖いのです。
岩は花崗岩でしょうか?
丹沢などにあるモロモロと崩れやすい岩ではなく、
壁などに使われる御影石のような頑丈さを思わせる岩がゴロゴロ転がっていました。
ひたすら、枯れ木の中を、歩くよ。
時折巨木の切り株にサルノコシカケを見かけたりするけれども、
特に見るものなしな世界が続く。
スイスイと僕は抜かされていくのですが、皆さん結構な軽装で歩いているんですよね
日帰りでこんな道を歩くことはできないと思うのですが、みんな一体どこに行くんだろう?
午前10時25分、行者還岳基部。
行者還岳ですが、大峯奥駈道から少し離れたところにあります、
この分岐の先なのですが、結構な上りの先にあるので荷物をデポしてみんな登っていました。
「道中のピークにはすべて登る」「巻道を使わない」という自分ルールに従い、
行者還岳に向かうことにした僕も荷物と一眼をデポして向かいます。
今まで僕の背中を悩ませていた子泣き爺程度の重量を持ったトリオンプロと
D850というアウトドア向きだけどとても重い一眼を置いていきます。
午前10時35分、行者還岳。
ザックをおろしたら翼が生えました、
俺ちゃんの身体レッドブルやんけ〜という気分で一瞬で山頂までたどり着くことができました。
えーと……山頂には何もない、ただちゃんとここも踏んだという
「満足感、納得感」が僕の心を満たしてゆく。
キツツキに突かれまくった木々とか、そういうのはありましたが、特に展望はないので
目の前にピークが現れた場合、それをすべて登っていくものという流派の方以外は
登らなくていいかなと思いました。
さて、ザックを回収したら再び弥山を目指します。
行動食を食べたあとなのでステップは比較的軽快ですが、疲労は順調に蓄積しており。
下りのタイミングで足がたまに言うことを効かなくなる瞬間も……あ、足がぁ〜!
はしごを何度も下ります、今日一日で何回はしご下ったんだ?
午前10時50分、行者還避難小屋手前の給水スポット。
皆さん休憩しているこの場所は行者還避難小屋の手前にある給水スポットです。
こちらは本日唯一の給水スポット。
大峯奥駈道の大普賢岳から弥山の間にはここしか給水できる場所がありません、マジかよ。
しかしこの水場、地図を見れば「渇水注意」の一言が書かれており、上を見てもまぁ……。
水が湧き出てくるような感じの地形には見えない……。
そしてみんななぜここで休憩しているんだ?
と思ったら見事に水がほぼ枯れているような状態でした。
「水は出ているけど、時間がかかるよ?」
そう言われて順番待ちをして、ようやく水を入れれると思って見てみると、
チョロチョロとか細い岩清水がホースの先端からこぼれ落ちている……。
これはプラティパス側に汲むと時間がかかるので750ml分だけ詰めることにします。
その間、ボケーッとして休憩です。
無事水を組み終わり、水も多分持つだろうというレベルになりました。
次は行者還避難小屋です。
行者還避難小屋までは水くみ場所からすぐだと思ったんですが、意外に歩くなという印象。
焦ってもしょうがないので森の木々に目を傾けて歩きます……。
というかそろそろシャリバテしてきました。
お昼ご飯を食べないとこの先歩ける気がしません。
午前11時10分、行者還避難小屋。
ようやく、ようやく本日の登山の中間地点となる行者還避難小屋に到着しました。
ここで正真正銘の半分です。
この避難小屋はキレイということを聞いていたので、
ご飯を食べる前に中を覗いてみましょう。
中の床は砂利が敷き詰められており、壁はログハウス的な感じですね。
水道があるように見えますが水は基本的に出ないものとお考えください。
あ、あとトイレですが、あるだけましだと思えよって感じでした。
寝所は二箇所くらいあって、どちらもこんな感じになっています。
マットと毛布がおいてあるけどダニマットな雰囲気があり、使う気にはなれないな……。
床はきれいな床の間ですね、掃除も行き届いています。
というわけで小屋の中ではなく外に出てご飯を食べることにしました、
和佐又山ヒュッテさんのお弁当はご覧のような感じで
肉とちくわと梅干しと味が濃いメニューで助かります。
まとまった休憩を取ることはあまりないんですけど、
ここいらでじっくりと休憩して残りの距離を歩ききる力を養います。
5.深き森を越えて向かうは弥山、終わらない尾根道
午前11時50分、行者還避難小屋出発。
30分以上休憩をしたので、十分体力も回復したことでしょう。
行者還避難小屋を出て八経ヶ岳を目指します、地面にはバイケイソウがびっしり……。
バイケイソウの栽培地かよと思うくらいの群生に思わず気分が悪くなってきました、
この草あんまり好きじゃないので群生は見たくない……。
斜面を埋め尽くすように生えたバイケイソウ、これなら笹のほうがありがたい。
バイケイソウの群生地を抜け出して笹の尾根に出ると、
気持ちのいい平坦ロードが続きます、スイスイ歩けて楽ちんですね。
だいぶ近づいて来たんですが、空に広がる雲が刻々と天候の悪化を暗示しており、
気持ちは急くばかり。
行者還避難小屋から先は目立ったピークもないのですが、とにかく地味な道が続きます。
八経ヶ岳までまだまだ遠いのですが、すでに足は疲れ切っています。
ところどころ現れる修行スポットにも興味を示さなくなってきました。
ひたすら笹、笹食ってる場合じゃない。
ようやく弥山の文字が見えてきたのですが、ここから2時間15分……。
遠い、遠すぎるよ。
お昼ご飯を食べたものの、登山三日目の足はかなり限界に近づいております。
歩き出そうとするもへたり込みたい気持ちがいっぱい。
午後1時00分、行者還トンネルルート合流地点。
八経ヶ岳の最短登山ルートである行者還トンネルコースとの
合流地点にたどり着きました、ここまで来たらあとは八経ヶ岳に登るだけです。
そしてここまで来たおかげでようやく人の姿がちらほら見れることに。
これまでのコースには殆ど人がいなくて困っていたところです。
そしてようやく弥山の指導標が現れました、行くぜ弥山!!
それまでの笹に覆われた道から途端に道幅も広くなり、整備の度合いが明らかに上がりました。
八経ヶ岳、貴様歩かれているな!
大峯奥駈道の弥山手前は木道が整備されているのですが、
中々木道整備地点までたどり着きません、なぜだ。
午後1時30分、弁天の森。
弥山手前の休憩スポットである弁天の森に到着しました、ここまで長かった……。
休憩している人たちに混ざって僕もぐったりとしようかと思ったのですが、
ランナーズハイ状態になっているためこのまま進むことに。
トレッキングハイってやつか。
弁天の森は新緑の時期は美しい森になると思うのですが、
GWのタイミングでは緑が上がってきていないため、
冬枯れした木々が広がるあんまり楽しくない場所です。
木々の雰囲気的にきれいになりそうな素養はある場所なんですけどね。
特徴的な切り株を越えて先に進みます。
午後2時00分、聖宝の宿前。
大峯奥駈道で始めてお坊さんの像に出くわしました、
大普賢岳などでは見なかったがここの像はかなり立派ですね、流石近畿最高峰。
これから登る弥山、疲れがマックスなので安全を願ってから登ります。
弥山にいざ登ろうとしたら優しい光がさっと刺します、これは仏の恵みかな?
さっと指した光が消えた先には階段が出現しました、
登り階段が延々と続くその光景は地獄と言っても過言ではない。
たまりに溜まった乳酸でしたが、まだまだ出るだろと筋肉が酷使されていきます。
仏よどうか僕のふくらはぎとお尻の筋肉に慈悲を……。
無慈悲な階段は続きます。
ゆっくり登らないと簡単に足がオーバーヒートしてしまうので非常にゆっくり登りました。
三日間歩き通す体力がないんだなということを痛感。
階段のあとには普通の登山道が現れ、そしてまた階段と厳しい道が交互に続きます。
空は青空も垣間見えるけど基本的には八経ヶ岳の上が曇っている状態。
普段の行いが悪いんでしょうか??
すっかり雲に覆われた大峰山周辺の領域に意気消沈してしまいます。
でも展望があってもどこに何があるのかわかんねーもんな……。
東北や北関東方面であれば大体どこにどの山があるかわかるのですが、
この周辺は地図とコンパスを合わせても山の景色が同じすぎて山座同定できるか怪しい。
弥山に登るに連れ立ち枯れ的な木々が増えてきました。
大台ヶ原と違いこちらは笹は少なく、地面が緑に染まればそれは美しい景色が広がりそうな場所です。
立ち枯れの木々と木道が続く景色の中延々と歩きます。
弥山はまだでしょうか、流石にお腹空いたんですけど……。
標高が上がりあたりはガスの中に包まれてしまいました。
幽玄なる立ち枯れの景色と言うやつか、なんだか魔女でも出てきそうなあやしい森が広がる。
お昼ご飯を食べてから時間が立っていたこともあり、
空腹感を流石にごまかせなくなってきました。
行動食を食べますが焼け石に水感がある、
20分ほど休憩すれば元気に歩けるとは思うのですが、
日暮れに近づくのも嫌だなと思うので食べて歩きます。
弥山までは人の手がよく入っています。
大普賢岳あたりももう少し整えてくれればいいのだけれども。
これじゃ弥山と八経ヶ岳だけ登ってくださいと言ってるようなもんじゃないか。
奥秩父のような景色が広がる森の中を延々と進みます。
流石に三日目ということもありザックの重量と首にかけた
D850のタスキが身体に食い込んできている。
たまに見える展望はガスが山肌を覆うようにひっきりなしに動くというもの、
これはこれでアリな景色です。
望遠レンズで切り取ったりしたらいい景色になるやつですね。
6.弥山、八経ヶ岳を目前に現れた楽園地帯。
午後2時55分、弥山到着。
つつつつつついに、ついに弥山にたどり着きました……!
長かった…、和佐又山ヒュッテを出発して10時間歩き続けて来ましたが、
ようやく本日の宿に到着です。
今日の朝のことがまるで3日くらい前のことに感じます、それくらい今日は長かった。
大普賢岳手前の洞穴とかもうあんまり覚えてません。
弥山小屋周辺はとても立派です。
よくここまで整備したなも思えるくらいきれいな小屋周辺、庭園みたいな場所が広がる。
ここまでの登山道は行者還岳林道という名前だったようです。
行者還岳はずいぶん手前だし、結構おとなしい見た目のピークだったが……。
百名山の登山対象としてはこの弥山と八経ヶ岳が挙がります。
そのため弥山には立派な看板が立っていました。
こんなの大普賢岳方面にはなかったが……。
時刻は15時近く、朝の5時から歩いていたと考えると10時間くらいですかね、良く歩いた自分。
弥山小屋に早速入り、宿の手続きをすることにします。
皆さんテント泊のようで、小屋利用の人は少なめでした。
弥山小屋に入ると先ず土間的な場所が現れます、下駄箱とご飯を作るための食台がありますね。
悪天候のときはここでご飯を食べろということなんでしょう。
宿泊費8,000円を支払い、部屋に向かいます。
畳の上に布団が並べられたお部屋はひんやりとしており、ストーブがたかれていました。
流石にGWの標高1,900mは寒いのです。
小屋には弥山と八経ヶ岳のバッジが置いてあったのですかさず購入。
荷物を置いて外に出ると雲が晴れ始めていました、
八経ヶ岳方面もそのうち青空が広がりそうです。
弥山小屋からすぐそこには神社があります。
八経ヶ岳がよく見え、大峰山最高峰に近いこの場所に建てたのはよくわかる。
今日は八経ヶ岳には登りません、時間帯も遅いし空も曇り始めているので。
明日の朝からっと晴れた八経ヶ岳のピークを踏むためにも、今日は耐えることとします。
最も、今の僕にはそこまで行く体力はないんだけれども。
弥山小屋に戻るとご飯の時間になっていました。
小屋での夕食は白米がおかわりできるということもあり、
小屋泊登山においては数少ない楽しみの時間です。
食堂には立派な灯油ストーブが置かれており、ゴウンゴウンと炎が燃え盛っています。
部屋の中がめちゃくちゃ寒いので、
ストーブがあっても座る場所によってはつま先が冷えて仕方がありません。
ご飯はご覧のような感じで山小屋的なハンバーグとお漬物。
小屋のご飯のレベルとしては「普通」くらいかなぁ……。
ご飯を食べたあとにふと「カロリーが足りていない気がする」と思い、
ポテトチップスを追加しました。
三日間の縦走によりだいぶ身体を酷使したはずです、
カロリーは多めにとっておかないと寝ている間に栄養が足りなくなりそう。
ご飯を食べてもう寝るだけになりましたが、僕にはまだやることがあります。
夕日の撮影です、登山がメインですが撮れるものはしっかりと撮りたい、それがこのブログ。
曇っていた空もいつの間にか青空となり、雲は焼けそうな感じに広がります。
焼けるかな?と思っていた夕日は焼けることなく西の空をほんのりとオレンジに染める。
まだ最盛期には遠い、眠気眼な大峰山の荒涼とした景色が合わさりなんとも寂しい雰囲気。
神社の裏の方まで歩いていってみれば、立ち枯れの針葉樹がポツポツと
木々の中に散見される不思議な景色が広がっていました。
大峰山全体がゆっくりと眠りにつこうとする景色を見に、
小屋の人たちも神社まで上がってきていました。
八経ヶ岳の山頂は開けているため、
向こう側で見る夕日というのも楽しかったかもしれません。
明星ヶ岳方面を見晴らす展望の良さは気持ちの良いものがあり、
立ち枯れの木々の稜線と夕日のコラボレーションは楽しい景色だったでしょう。
弥山神社からは倒木や木々の隙間から太陽の顔を伺うこととなり、
中々広大な景色というのは撮影しにくいのかも。
体力があれば八経ヶ岳で夕日を見ることができると思うので、
次回はそういう景色を撮影したいですね。
夕日は最後の一瞬、赤みを増し、紫色の地平線の向こうへとゆっくりと沈んでいきます。
光も強さを失い、太陽の丸い顔が肉眼でも直視できるくらいに。
そして空は深い青に染まり、ゆっくりと山全体が眠りについて行くのです。
こうして3日目の大普賢岳から弥山への縦走が終わりを告げるのでした。
明日はついに下山しさいたまに帰ります。
名残惜しいのですが近畿のさらなる奥地はまた次回の機会に。
天川村から洞川温泉、そして京都駅からの帰還を目指します。
7.まとめ
大普賢岳から弥山まで
和佐又山ヒュッテから八経ヶ岳を目指すコースは
大台ヶ原と大峰山を繋ぐ名コースでもあるのですが。
女人禁制の山上ヶ岳を迂回しつつ大峯奥駈道を縦走することが可能となる
女性登山者向けのルートでもあります。
しかし、その険しさと長さは折り紙付き。
生半可な体力では大普賢岳から弥山の歩きは非常に辛く感じることでしょう。
大普賢岳から行者還避難小屋までは道の険しさもあり、歩きごたえがあります。
特に細かいアップダウンが足の体力を削りつつ、
鎖場等も現れるため集中力が必要になります。
時折現れるため展望スポットからは大台ヶ原や和佐又山が見えるので、
それらを見ながら休憩するのはおすすめです。
弥山までたどり着いてしまえばあとは八経ヶ岳を残すのみです。
弥山小屋はとてもきれいな小屋で居心地がいい場所ですし、
テント場も整地されたエリアが多く展望もよし、
夜空を見ながらコーヒーを飲むには絶好の場所です。
山頂の特異な景観が話題に上がる八経ヶ岳ですが、
大普賢岳から歩いてみればその視線の先に常に弥山と八経ヶ岳があり。
盟主としての存在感を遺憾なく感じることができる山です。
その歴史の長さ、山の存在感を考えると
ここは百名山として相応しい場所だなと十二分に思えました。
次回は、近畿最高峰八経ヶ岳を登り、狼平を経由して天川村へと下ります。
大峰山最終日は太陽に恵まれた最高の最終日となりました、
次回関西遠征編最終話となります、こうご期待です。
大峰山の地図はこちら
この登山で役に立った装備
引き続き粉飴に助けられました、しかし、最終日分の粉飴まで持ちませんでした……。
次回はもっと大量の粉飴を持っていく必要がありますね。
VANGUARD トラベル三脚 VEOコレクション カーボンファイバー 5段 小型 自由雲台 キャリングケース付き 150cm VEO 2 265CB
- 出版社/メーカー: バンガード
- 発売日: 2017/07/14
- メディア: Camera
- この商品を含むブログを見る
軽量三脚のVEO2 265CBを利用しました、D850を利用する場合はズームレンズをつけると
この三脚では力不足になってしまいます、出来ればLEOFOTO LS364Cくらいの
三脚が欲しいところです。
ファイントラック(finetrack) スキンメッシュロングスリーブ男性用 FUM0411 ブラック M
- 出版社/メーカー: ファイントラック(finetrack)
- メディア: ウェア&シューズ
- この商品を含むブログを見る
スキンメッシュを大量に持ち込んだ今回の登山、三日目は暑く汗をかきましたが
スキンメッシュのおかげでつらい思いをせずに済みました。
すべての登山者にお勧めしたい装備です。